食生活の見直し

脳機能に影響を与える食品成分

横越 英彦 静岡県立大学 食品栄養科学部及び
大学院生活健康科学研究科
教授 横越 英彦

多くのストレスに悩まされ、超高齢化に伴い認知症が大きな社会問題にもなっている現代にあって、脳機能の低下を抑えたり精神活動を活性化したりする方法への関心は高まる一方です。栄養学、生化学、生理学、神経科学、行動科学、心理・精神学など広範な研究領域を包括した「栄養神経科学」を先導し、食品成分が脳機能や精神活動に与える影響を研究する静岡県立大学教授の横越英彦先生に、その研究の成果などをお聞きしました。


食品成分と脳機能の関わり


■まず、先生が携わっておられる栄養神経科学とはどのようなものかをお教えください。
 現在は高ストレス社会・超高齢化社会であると言われており、その中で誰もが“人間らしく健康長寿”を全うしたいと願っています。栄養神経科学は、食品成分が脳機能に与える影響や、それによる行動への影響を研究し、食品成分の機能性を詳細に解明することで、健康長寿につながる新規食品の開発などに貢献することを目的としています(図1)。
 ストレスや高齢化によって生じるトラブルとしては、鬱などの精神的疾患や心の問題があり、これらの研究には脳機能の解明が不可欠です。その脳機能に重要な役割を果たしているものとして脳内神経伝達物質があります。セロトニンやドーパミン、アセチルコリンなどがその代表ですが、これらは記憶や学習、睡眠、情動など様々な脳の働きをコントロールしています。この脳内神経伝達物質はアミノ酸から合成されており、アミノ酸自身が脳内神経伝達物質として機能しているものもあります。例えばグルタミン酸やアスパラギン酸は興奮性の神経伝達物質で、グリシンやGABA(γ-アミノ酪酸)は抑制性の神経伝達物質です。また、セロトニンはトリプトファンの構造の一部が少し変化してつくられますし、アミノ酸がいくつも連なって合成される脳内神経伝達物質もあります。このように脳内神経伝達物質はアミノ酸が原料となっているわけですから、当然、食べ物や食生活と大きく関係していると考えられます。

[図1]栄養と脳機能の関係
[図1]栄養と脳機能の関係

■脳の機能は食べた物によって影響を受けるわけですね。
 そうです。しかし、脳は高次機能を担っている臓器ですから、食べ物による影響を簡単には受けないとこれまで言われてきました。脳内には血液脳関門という関所のようなものがあり、血中に溶けている物質がストレートに脳に入らず選択的に調節されているのです。そこで、私たちはラットを使った実験を行ってみました。
 ラットにアミノ酸であるトリプトファンを飲ませ、血中および脳内のトリプトファンの量を見ると、30分後に血中濃度が上昇し、また脳内の濃度も30分後に有意に高くなりました。また、トリプトファンからつくられるセロトニンの量を調べると、やはり30分後に有意に高くなり、1時間後も持続していました。このような実験はいくつか行われており、食べ物によって脳の中の神経伝達物質が比較的容易に影響を受けることがこれまで実証されてきています。

■アミノ酸以外にも、脳機能に影響を与えそうな物質はあるのでしょうか。
 もちろんあると考えられます。しかも、食品成分が体内に吸収される前から影響を及ぼすものもあります。それは味覚、嗅覚、触覚、聴覚、視覚という五感に与える影響です。例えば美味しそうな料理を見れば私たちの体は反応しますし、焼き肉が焼けるにおいをかいだだけで消化酵素が分泌されます。良い香りをかげば、あるいは美味しい料理を食べれば幸福感に満たされます。このように、五感を介した作用を調べる栄養学を、私は「五感栄養学」と呼んでいますが、これは今後ますます研究が進展すると思っています。



香気成分による脳への影響

■香りの作用については、どのようなことがわかっているのでしょうか。
 香りは栄養学の分野ではほとんど研究されていません。しかしアロマテラピーで知られているように、五感に訴えて気分に影響する成分ですから重要な研究テーマだと考えています。
 香り成分は、いろいろな形で体内に入ってきます。例えばミカンの皮をむくときに鼻からも入りますし皮膚からも入ります。当然食べても入ってきます。柑橘類の香り成分は伝統的に抗菌作用や抗炎症作用、抗うつ作用、鎮静作用などの効果が期待されて使われてきました。そこで、柑橘香気成分の脳神経機能への影響を、ヒトを対象に調べてみました。香り成分を除いたレモン果汁と、香りのあるレモン果汁の2種類を使い、摂取後最初の30分間と、30〜60分間の脳波を測定しました。すると、香りのあるレモン果汁を飲んだときに、リラックス時に出現するα波がより多く出ていました。特に30分以降に影響が出ていたことから、香り成分が体内に吸収されてから変化が起こったと推測されました。
 柑橘類の香りにはいろいろな成分がありますが、共通して多く含まれるのがリモネンという成分です。そこでリモネンが実際に脳まで達するのかをラットを使って実験しました。リモネンをラットの腹腔に注射して血中および脳中のリモネンとその代謝物(ペリラ酸とペリリルアルコール)を調べたところ、血中と脳中に代謝物が検出され、特に4〜5時間後にピークに達していました(図2)。一方、リモネン自体は検出されなかったので、速やかに肝臓で代謝されたと思われます。さらにリモネン投与後に、脳の視床下部、線条体、大脳皮質の神経伝達物質を経時的に分析したところ、やはり香り成分の代謝物が脳内に入ってくる頃にノルエピネフリンやドーパミンがピークを示しました。
 生きているラットに対する影響も調べました。ラットに電気刺激を用いて肉体的または精神的ストレスを加えると、血中のコルチコステロンというホルモンが増加しますが、テルピネンやリモネンといった香気成分をストレス暴露の4〜5時間前に腹腔内に投与すると、コルチコステロンの増加が有意に抑えられました。

[図2]リモネン投与後の代謝物の血液、脳への経時的変化
[図2]リモネン投与後の代謝物の血液、脳への経時的変化


緑茶に含まれるテアニンの脳への影響

■その他の成分としては、どのようなものに注目されていますか。
 緑茶に含まれるテアニンというアミノ酸です。テアニンは上等なお茶ほど多く含まれ、お茶のうまみ物質と考えられています。このテアニンの構造式は、脳内で興奮性神経伝達物質として機能しているグルタミン酸によく似ており、テアニンも何らかの生理作用があるのではないかと考えました。テアニンは脳の中に取り込まれることがわかったので、生きているラットの脳線条体に直接テアニンを注入して調べたところ、ドーパミンが顕著に増加しました(図3)。ドーパミンは記憶や学習など非常に重要な脳の機能に関与していますので、これは非常に興味深いことです。実際にラットによる学習実験でも、テアニン投与による記憶力の保持は確認されました。
 また、テアニンのリラクゼーション効果を調べるために、ヒトの脳波を解析してみました。テアニンを200mlの水に溶かして飲んでもらい、その前後の脳波の変動を測定しました。すると、単なる水の摂取時にはα波が観察されませんでしたが、テアニン摂取の場合は40分ほど後にα波の顕著な出現が観察されました。
 さらに、テアニンがα波の出現を誘導したことから、イライラした精神を落ち着かせる作用が確認できるのではないかと考え、女性の月経前症候群(PMS)を対象にヒト実験を行いました。PMSとは、月経前にイライラしたり、集中力が低下したり、あるいは頭痛や下腹部痛といった症状が現れるもので、女性ホルモンのアンバランスが原因だと考えられています。PMSの診断に用いられるアンケート調査を指標に、精神的、身体的、社会的愁訴に対するスコア解析を行ったところ、精神的な愁訴だけでなく、身体的な痛みといったその他の症状に対してもテアニンは改善効果を示しました。

[図3]脳微小透析法を用いたテアニンによるドーパミン放出量の変化
[図3]脳微小透析法を用いたテアニンによるドーパミン放出量の変化


アミノ酸の一種、GABAによる脳への影響

■先生はGABAについても精力的に研究されていますね。
 GABAはγ-アミノ酪酸とも呼ばれる脳内神経伝達物質で、その英語名であるγ-aminobutyricacidの頭文字をとって名付けられたものです。GABAはグルタミン酸からつくられますが、構造がよく似ているにもかかわらず、グルタミン酸が興奮性の神経伝達物質であるのに対し、GABAは抑制性の神経伝達物質で、興奮を鎮めたりリラックスをもたらしたりする役割を果たしています。また、GABAはこれまでにも降圧効果などが報告されて特定保健用食品に用いられていますが、特別な物質ではなく、トマトやジャガイモ、ナスなどの野菜や果物、発酵食品など日常摂取する食材にも多く含まれています。
 GABAは脳内神経伝達物質であることから、摂取され体内に入ったGABAも脳に取り込まれると思われがちですが、血液脳関門を介して脳内に取り込まれることはありません。しかし、摂取したGABAが心や体に及ぼす影響は明らかになってきています。例えばGABAを投与したラットと投与しないラット(コントロール)に対し、電流を回避する訓練を5週間にわたって続けるという実験を行いました。すると、2週目までは両者に有意差がなかったのですが、3週間後からGABAを投与したグループの回避率が高くなりました。つまりGABAの摂取で学習行動に好影響のあることが観察されたわけです。

■なぜそのようなことが起きたと考えられるのでしょうか。
 確かなことはわかっていませんが、GABAを与えると成長ホルモンが増加します。成長ホルモンはたんぱく合成を促進しますが、実際に大脳皮質や小脳、海馬でたんぱく質合成を測定すると、GABAの投与量に比例して大脳皮質や小脳のたんぱく質の合成速度が上がっていました。これが脳機能に与える影響の原因ではないかと私たちは考えています。
 また、ヒトに対してはストレス抑制効果を調べるための実験を行いました。高所恐怖症の男女ボランティア8人に、日本最長で恐いと言われる奈良県の谷瀬の吊り橋を渡ってもらい、吊り橋を渡る前のGABAの摂取の有無で、ストレス指標である唾液中のクロモグラニンA(CgA)の変化率を比較しました。その結果、GABAを摂取しなかった群は吊り橋を渡ることにより唾液CgAが増加したのに対し、GABAを摂取した群は増加せずに低下しました。 さらにストレスの軽減効果を調べるために、性格の評価法としてよく知られているクレペリンテストという実験を行いました。被験者にGABAが含まれる水と、含まれない水をわからないように飲んでもらい、単純な足し算を30分(15分間を2セット)行うというものです。試験前と中間時、終了時に唾液中CgAと、やはりストレスマーカーであるコルチゾールの変化を調べました。その結果、GABAの摂取により唾液中のCgAやコルチゾールの増加は顕著に抑制されていました(図4)。

[図4]クレペリン負荷後のGABA摂取による
唾液中クロモグラニンAとコルチゾール濃度の変化

[図4]クレペリン負荷後のGABA摂取による唾液中クロモグラニンAとコルチゾール濃度の変化


栄養神経科学の今後の展望

■こうしてみると、脳機能に影響を与えている食品成分はまだありそうですね。
 そうです。これまでの栄養学は栄養素を主に扱ってきましたが、食品中には栄養素以外の物質もたくさん含まれます。最近ではポリフェノールといった非栄養素の研究が非常に活発になってきましたが、脳・神経機能についての栄養学的側面からの解明は遅れているのが現状です。「栄養神経科学」は、栄養という側面、脳機能や脳神経という側面、そして人の精神活動という側面の三つを包括して研究するものです。現代のような高ストレス・超高齢化社会では、新規の商品開発も期待されていますから、学問領域を超えた協力体制の必要性はますます高まってくると思います。


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